大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡高等裁判所 平成10年(行コ)10号 判決 1999年2月10日

大分県中津市一六六五番地

控訴人

中津商業株式会社

右代表者代表取締役

信田孝一

右訴訟代理人弁護士

川口晴司

大分県中津市殿町二丁目一四二五番二号

被控訴人

中津税務署長 山崎省典

右指定代理人

佃美弥子

鈴木吉夫

和多範明

今村久幸

田川博

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人が、平成五年一二月六日付けで、控訴人の平成三年四月一日から平成四年三月三一日までの事業年度の法人税についてした更正及び重加算税の賦課決定を取り消す。

三  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一控訴の趣旨

主文と同旨

第二事案の概要

事案の概要は、次のとおり付加、訂正するほかは、原判決「事実及び理由」欄の「第二 事案の概要」に摘示のとおりであるから、これを引用する。

1  原判決七頁八行目の「手付金一〇〇〇万円」とあるを「手付金一五〇〇万円」と改め、同一六頁四行目及び九行目にそれぞれ「宮本」とある次に「(原審・当審)」を加える。

2  同二二頁二行目の「代金七〇〇〇万円」を「代金中に七〇〇〇万円」と改め、同三、四行目の「証言する」とあるを「証言するのみならず、何らの根拠もないまま、右小切手の裏面の自らの署名、印影部分をも偽造であるかのように証言する(当審)」と改める。

第三証拠

証拠は、原審及び当審記録中の書証目録及び承認等目録に記載のとおりであるから、これを引用する。

第四争点に対する判断

一  本件取引前後の経過等

先ず、本件取引に至る経過等証拠(甲一、二、五ないし八、一五、原審証人元重克子、当審証人岩田秀機、原審控訴人代表者本人)により容易に認められる事実及び争いのない事実等について認定するに、

1  控訴人代表者信田孝一は、福岡市内で経営する金融業日新信販株式会社の代表者であり、同社を中核として九州各地に一〇社程度の子会社を有するものであり、中津市にある控訴人会社の代表者をも務めるものである。控訴人は、金融業を主たる目的とするものであるが、昭和六二年ころ、信田がその傘下に納めた。本件取引に立ち会った元重克子(原審証人)は、控訴人の経理担当者であり、同じく津留寿生(甲八の陳述書の作成者)は、元銀行員で、控訴人の非常勤取締役兼日新信販の経理課長であったものであり、平成六年五月に退職し、また、坂本敏彦(乙一三の供述者)も、元銀行員で右傘下の子会社でアクルス株式会社の企画部長であり、当時信田の信頼が厚く、その秘書的存在であったが、平成四年七月に退職した。

2  岩田秀機は、宇佐市内で建設業等手広く事業を営むものであるが、平成二年夏ころ、横浜在住の義兄宇土良治から、「離婚して(郷里の宇佐市に)帰ってくる。一億円位の金を持っているので飲食店ビルを建てたいが、その敷地にするいい物件はないか。」と頼まれた。そこで、岩田は、宇佐市で不動産仲介業を営む川島巖に相談したところ、宮本所有の本件土地建物を紹介された。右売買は間もなく成立し(売買代金額は争点と絡むのでさておくとし、)、宇土は宮本に対して、手付金一五〇〇万円を支払った。

3  ところが、宇土は、その後、離婚をやめて帰郷しないことになり、本件土地が不要になったが、解約すれば右手付金が流れるため、宇土の実兄宇土一紀が買主の右地位を引き継ぐことにした。しかし、一紀は、自己所有の不動産売却代金を本件物件の購入資金に充る予定にしていたところ、右売却が思うように進まず、その資金に苦渋することとなった。そのため、岩田と一紀は、右手付金が流れることの懸念と、本件土地等が宇佐市の一等地に所在し取引価値があると判断したところから、何とかこれを確保したいと考えた。

そこで、平成二年九月ころ、岩田の旧知の友人である控訴人代表者信田孝一を入院先の病院に訪ね、一紀が引き取れるまでの間、信田の方で本件土地等を買い取って暫く保有しくれるように相談を持ちかけた。信田は、その話に難色を示した(理由は争点に絡む。)が、岩田らの再三、再四にわたる要請を受け入れることにした。信田は、右買い受けるにつき、控訴人(右買受は、実質は日新信販グループでの買入だが、地域的に控訴人が物件所在地に直近であることから、その買受名義を控訴人とすることにした。)の当該年度の決算時までに、一紀らが買取るか転売等処分ができるようにすることを条件として提示し、岩田らも、これを承諾し、万一の場合には、岩田が新たな転売先を見つけくる旨を約したので、右要請を受け入れることになった。

4  信田は、本件売買契約の前日の平成二年一〇月一八日に、日新信販の経理課長津留に対し、日新信販から九〇〇〇万円を控訴人の口座に振り込み、翌日これを内七〇〇〇万円は小切手に、残金二〇〇〇万円は現金にして降ろし、明日の取引現場に赴くよう指示し、控訴人の経理事務担当者元重に対しても、同一八日に同様の指示を与えた。

本件取引当日、信田は、宮本宅に出向けなくなったため、津留、元重及びアクルスの企画部長坂本の三名を宮本方に行かせた。津留と元重は、同日午前、信田の指示のとおりに、代金が振り込まれていた大分銀行中津支店から九〇〇〇万円の払い戻し手続をし、七〇〇〇万円は同行振出しの保証小切手で、二〇〇〇万円は現金で受領した。

5  取引当日の平成二年一〇月一九日午前一一時ころ、宮本宅二階和室に、宮本、川島、津留、元重、坂本が同席し、まず、その場で津留から宮本に売買代金(具体的内容については後述する。)が支払われた後、売主を宮本、買主を控訴人、仲介業者を川島不動産とする本件売買契約書が作成された。そのころ、宮本が口座を有する豊和銀行宇佐支店の赤松行員及び堀司法書士が呼ばれて入室し、堀は、登記手続等の関係書類を受け取り、赤松は売買代金(具体的内容は後述する。)を受領して退出した。引き続きその余の五名も階下に降り、控訴人側の三名は帰り、宮本と川島は一階の部屋に行き、宮本は、岩田と共に同室に待機させていた宇土一紀に、前記手付の返還金として一三〇〇万円の現金を手渡した。右返還金は交付された手付金額から二〇〇万円増額されたことになるが、岩田らとしては、宮本が手付流れとしなかったことでもあり、右額で了解した。また、川島も、その場で、宮本から、仲介手数料として現金で二一六万円を下らない額を受領した。

6  岩田は、控訴人に対する前記約定にもかかわらず、本件土地等を控訴人の当該決算年度内(平成三年三月三一日迄)に引き取ることができなかった。

その後の同年六月一四日、岩田は、責任を取って、同人が経営する有限会社コーシュー(信田も、当時、岩田に請われて同社に三〇パーセントの資本参加をし、取締役にもなっていた。)で、本件土地等を九五〇〇万円で買取った。

二  争点(本件売買代金額)について

1  控訴人の主張(代金額は七〇〇〇万円で二〇〇〇万円の裏金など存在しないとする。)に副う証拠及び事実関係について

本件取引に関して作成された次の掲記の各証拠によれば、本件売買代金額は七〇〇〇万円であったことが一応窺える。即ち、

(一) 本件土地等の売買契約書(乙一)の売買価額及び宮本作成の「土地建物売買代金全額として」と付記された記載のある代金領収証(乙二)の領収金額には、いずれも「七〇〇〇万円」と明確に記載とれている他方、右を九〇〇〇万円と認めうる直接的証拠は存在しない。

(二) 控訴人は、本件取引に関して自社備付の商業帳簿の振替伝票(乙三の1、2及び同3の1)においても、次のとおり起票している。即ち、

(1) 平成二年一〇月一九日、日新信販からの借入金九〇〇〇万円が大分銀行中津支店の控訴人の普通預金口座に振り込まれたこと。

(2) 右のうち七〇〇〇万円が、平成三年一月九日、宮本隆への仮払金として払い出されていること。

(3) その後、同年三月三〇日、右の仮払金七〇〇〇万円が事業用土地の取得費に振り替えられていること。

(三) 本件土地建物を取得した当該事業年度における控訴人作成の法人税確定申告書添付の貸借対照表の明細である固定資産内訳書(乙四の2)の期末現在高欄の本件土地該当欄には「七〇七三万七八〇〇円」と記載され、これを含めた固定資産期末現在高の総額が右貸借対照表の動産不動産勘定科目の金額と一致している。

(四) 本件取引を仲介した川島不動産は、右取引当日、宮本からの仲介手数利用として二一六万円を自己の金銭出納簿に計上し(乙五)、同日、同額を取引先金庫の預金口座に預入している(乙六)。右額は、売買価額七〇〇〇万円を前提に算出される法定の仲介手数料の最高限度額である。

(五) また、本件買主の証人宮本(原審、当審)も、本件取引を仲介し現実に立ち会った証人川島巖も、後記のとおり、売買代金額は七〇〇〇万円であり、二〇〇〇万円の裏金の話など一切なかった旨の証言をしている。

以上の事実によれば、本件売買代金額は七〇〇〇万円であったことを窺うに十分である。

2  控訴人の主張(代金九〇〇〇万円であり、内二〇〇〇万円は裏金として表に出さずに処理されたとの主張。)を裏付ける証拠等について

控訴人は、右の被控訴人の主張及び右各書証等に対して、証拠(甲一ないし四、六ないし八、一一、一五、乙一九、原審証人元重克子、当審証人岩田秀機、原審控訴人代表者本人)により反証する。その内容は次のとおりである。

(一) 当審証人岩田秀機の証言

(1) 岩田は、当初に宇土良治が本件土地等を買い受けるに際し、宇土側の仲介人的立場で川島との交渉に関与した。その際、岩田は川島から、代金を表七〇〇〇万円、裏二〇〇〇万円とするよう合意を求められた。その後一、二か月して宇土側が右合意(以下「圧縮合意」という。)をのみ、売買が成立し、手付金一五〇〇万円が支払われ、残金の支払いはその二、三か月後とされた。その際に、宇土は宮本に、「万一裏金のことが表に出たら、買主の方で税金(追加税額相当)を負担する。」との念書を書かされた。

(2) 第二の買主の宇土一紀が手を引いて後、岩田と一紀が信田に買取って貰う旨要請した際、岩田が信田に、代金は九〇〇〇万円で内二〇〇〇万円が裏金である旨の圧縮合意の話をしたところ、信田は、そんなことしても直ぐに(税務署に)露見することだと断った。しかし、岩田らは、諦めずに再三、再四懇請した結果、前記期末までの買取を条件に、信田に買い受けて貰う話ができた。

(3) そこで、自分のビルにあるステーキ・ハウスで信田と川島とを引き合わせた。川島は信田に「表金七〇〇〇万円で裏金二〇〇〇万円ですよ。」と告げると、信田は「そんな契約は出来ない。」と一旦は断ったものの、最終的にはこれを了解した。更に、その二、三日後、右ハウスで今度は宮本を引き合わせたが、宮本も右同様の圧縮合意を求めた。

(4) 前記のとおり、コーシューが買取った際の売買価額は九五〇〇万円であるが、右金額となったのも、岩田が、控訴人の買入価額が九〇〇〇万円であることを承知していたからこそである。右価額が七〇〇〇万円であったとすれば、岩田と旧知の間柄で買受会社コーシューの取締役兼株主である信田が、岩田との信義を無視してまで二五〇〇万円もの転売利益を得て取引きするなどは、到底あり得ない。

(5) 岩田は、コーシューの当該決算期(平成四年二月二九日)の決算報告書作成に祭し、本件土地等の買受金額を九五〇〇万円とすることによって控訴人に生じる課税上の不利益を慮んばかり、担当税理士に対して、「(右土地等の)取得価額を七〇〇〇万円とし、二五〇〇〇万円を仮払金として計上して処理しては。」と相談したが、税理士から「七〇〇〇万(控訴人の購入価額)の七〇〇〇万(コーシューの購入価額)ではおかしいので、購入価額を八〇〇〇万円に、一五〇〇万円を仮払金にしては。」と示唆されて、その旨の決意処理をした経緯にある。これは、本件圧縮合意に配慮したための苦慮の策であった。購入価額を七五〇〇万円としておれば、控訴人に迷惑が掛かることはないが、本件土地等を担保に銀行から融資を受けて右土地に店舗用ビルを建設する計画を実施していたので、そのような低額にするわけにいかなかったし、最終的には取得価額九五〇〇万円を表に出した。

(二) 原審証人元重克子の証言及び同女の作成にかかる陳述書(甲一五)の記載

(1) 本件取引の日、本件の経緯や契約内容など全く知らずに、信田の指示のとおりに、七〇〇〇万円の大分銀行の保証小切手(甲一〇)と二〇〇〇万円の現金とを用意して宮本方に赴いた。そこで、津留から宮本に右小切手と現金とが手渡されたが、宮本は七〇〇〇万円の領収書しかくれず、直後に作成された売買契約書の金額欄も七〇〇〇万円としか記載されていなかったので、宮本が税金逃れのために、表向き七〇〇〇万円としたのだと判った。

(2) 右圧縮合意に基く取引について、控訴人の会計帳簿にどのように記帳したものか悩まれた。日新信販からの九〇〇〇万円の借り入れは記帳せざるをえず振替伝票をその日に起票したが(乙三の1)、その支出については、右同額が支出されているものの、右裏金の件で迷い、暫くその起票を放っておいた。信田に指示を仰いだが、当初は「年度内に売ってしまうからそれまで待て。」との返事であったので放置していたが、決算期末(平成三年三月三一日)も近まったころ、再度信田に指示を仰いだ。しかし、同人も指示に困り、「あとで返事する。」と云ったままで、決算期に至った。そこでやむなく、その頃に、真実に反するが平成三年一月九日付けの控訴人の大分銀行の普通預金口座から七〇〇〇万円を宮本へ「仮払金」名目(事業用土地の名目より将来潰しが効くため。)で支出した旨の振替伝票(乙三の2)を起票した。しかし、その後予定の年度内の転売が実現されなかったのを確認したので、右の「仮払金」の伝票を「事業用土地」のそれにする振替伝票(乙三の3の1)を起し、これと同時に、その差額の二〇〇〇万円について、借り入れ当日の平成二年一〇月一九日付け(その後帳面が合わなくなり、決算日の平成三年三月三〇日と訂正した。)で大分銀行の普通預金口座から出金して日新信販に返済した旨の振替伝票(甲三)をも起こした。しかし、右の日に同口座から出金した事実がないことは甲一二により明らかである。

(3) コーシューに売却後、圧縮合意により控訴人にその売却益が二五〇〇万円も出て、ありもしない利益に課税されるのを懸念し、岩田に同社の帳簿上、七五〇〇万円で処理してくれるように依頼しようと思い、平成四年四、五月ころ、岩田に「控訴人は決算書に七〇〇〇万円で買ったと申告するので、コーシューの買値も七五〇〇万円にしてくれないか。」と電話した。しかし、岩田の返事は、「うちは既に決算書を税務署に提出しており、これに買値八〇〇〇万円、仮払金一五〇〇万円と記載してしまった。」との返事であった。それで、同社の税理士に確認後、岩田に「このままでは控訴人に多額の課税がくることになるので、裏の値段九〇〇〇万円を表に出さざるをえない。」旨告げると、岩田は「それでは俺の信用がなくなり、宇佐で商売出来なくなる。」との返事だった。そのため信田に話したら、同人は「岩田が決算期内に買戻す約束を実行しなかったのだから、九〇〇〇万円を表に出そう。」と指示した。

(4) 以上の経緯から、平成三年度の控訴人の決算では本件買取価額を九〇〇〇万円とした処理をすることにし、平成二年度の帳簿と辻褄を合わせるために、コーシューから支払のあった九五〇〇万円を仮払金名目で処理していたもの(甲一三、一四)を、平成四年三月三一日付けで事業用土地九〇七三万七八〇〇円(登記料等経費を加えたもの)、売却益四二六万二二〇〇円との振替伝票(甲四)を作成した。

(5) 以上のことは、そのころ、宇佐税務署の担当者にも口頭で話し、要請により書面にも記載して提出した。

(三) 控訴人代表者の原審での本人尋問における供述及びその陳述書(甲七)の記載

(1) 岩田と宇土一紀が、平成二年九月ころ、入院先の病院まで来訪し、本件土地売買の経緯を話した上、「手付流れになるし、宇佐の一等地を買い損なうので、とりあえず買っておって欲しい。」旨頼み、「宇土と売主の宮本との約束では代金九〇〇〇万円で内二〇〇〇万円を裏金とすることになっている。」とも云うので、宮本の税金逃れの意図を察知し、「それでは税務署や株主総会の関係で帳簿処理等に困るし、宇佐で商売する気もない。」と云って断った。

(2) しかし、両名が再三訪ねて来て、「一紀の博多の土地が売れたときに買戻すから。」とか、「最悪の場合には岩田が責任を持って買手を探す。」などと云って懇請した。それで、仲介業者の川島と会うことにし、同月末のころ、岩田の飲食店ビルにあるステーキハウスで、岩田の紹介する川島と会った。川島は、岩田と共に買取を要請したが、右圧縮合意を持出して右合意による売買を求めたので、一旦は断ったが、最後には、両名に対して、「宇佐の土地なので控訴人を買主とする。控訴人の次の決算までに宇土が買取る。それが駄目なときは岩田が責任をもって買主を見つける。もし右が全て駄目なときは九〇〇〇万円を表に出す。」との条件を提示し、右両名もこれを承諾した。

その数日後、右と同じ店で、岩田の紹介で宮本にも会って顔合わせをし、会食した。

(3) 本件取引の場には出かける予定で、その前日、津留と元重に(前記(二)(1)のとおりの)指示をし、津留には圧縮合意の点も告げた。当日になり急用が出来たので、秘書的立場にあった坂本に代わりに立ち会うよう指示し、圧縮合意の点も伝えておいた。

(4) 取引後、度々、元重から伝票の処理をどうしたらよいか聞かれたが、「売れるまで待て。」と云っただけで特に指示は出さずにいたが、期末が迫ってもどう指示していいか判らず仕舞いで、決算が終わってしまった。そのため、元重は、決算で、やむなく購入代金を七〇〇〇万円で処理してしまった。その後の平成三年度の決算申告において、このままでは多額の課税となるので、前年度七〇〇〇万円で申告していた取得価額を九〇〇〇万円に訂正して申告し直した。この変更は税務調査に際して不利となるが、実際に払ったのが九〇〇〇万円であったし、岩田や元重ら三名の従業員も立ち会っていたので、税務調査でもこれらの人の話を聞いてくれれば認めて貰える筈だと思ってそうした。

(5) コーシューへの転売価額も、宮本に払った九〇〇〇万円に取得税その他諸経費を上乗せして九五〇〇万円としたもので、転売利益は全く得ていない。

(四) 津留寿生作成の陳述書(甲八)

(1) 本件取引の前日、信田から(前記(二)(1)のとおりの)指示を受け、その指示に従って、翌日、代金を準備して元重と取引現場に立ち会い、持参した七〇〇〇万円の小切手一通と銀行の帯封が付いた百万円の束で現金二〇〇〇万円を宮本に渡した。自分の手で支払ったので間違いない。

(2) 宮本は、右代金を受取ったが、七〇〇〇万円の領収書のみくれたので、金銭のトラブルが生じたときに自分の責任になりかねないから「それでは困る。正規のでなくてもいいから、二〇〇〇万円の領収書も下さい。」と頼んだ。しかし、宮本は「二〇〇〇万円の領収書は出さないでいいことになってる。」と云い、坂本も「会長(信田)は了解している。」というので右領収書は受取らなかった。売買契約書の控訴人の名義部分は自分が作成したが、その際、売買代金が七〇〇〇万円と記載されていたので、代金を圧縮した契約をしたことが判った。

(3) 契約書を作成しているころ、銀行員が一人入室してき、宮本から小切手を受取りカバンに入れた。少し遅れて司法書士も入室してき、登記手続書類等を受け渡ししていた。

(4) その後、元重から物件の購入価額について伝票にどう記載したらよいかと尋ねられたが、「私に聞かれても判らない。信田会長に指示して貰いなさい。」としか答えられなかった。その後信田に会ったときに右の件を尋ねたが、「待ってくれ。」と云っただけで、いつまでたっても何の指示もしてくれなかった。

2の2 右供述等の信用性等について

(一) 以上の各供述、証言、陳述書の内容と関係書証とを総合検討してみるに、それらに現れた本件取引を巡る内容について、相互間に殆ど相異矛盾はなく、むしろ、本件売買契約に至るまでの経緯、事前にした圧縮合意を巡るやり取り、代金九〇〇〇万円を準備した状況、契約現場、代金授受及び契約書作成等契約当日の具体的状況、その後圧縮合意で控訴人の伝票処理に苦渋した経緯、右合意ゆえに転売先のコーシューの帳簿との辻褄合わせをしようとした苦労、結局は圧縮合意を表に出さざるを得なくなった状況等々の主要な事実において、ほぼ一致した内容が語られている。ことに、証人元重の証言及び陳述書(甲一五)や、既に退社していて控訴人に義理はないと証人としての出廷を断っていた(甲九)津留作成の陳述書の内容は、いずれも、詳細でかつ筋道が通って自然であり、それら相互間に矛盾はなく、また、他の書証等との間にも整合性があり、就中、事後の伝票や帳簿処理に苦心したことが克明に展開・記述されており(この点は控訴人代表者の供述とも矛盾がない。)、また、裏金二〇〇〇万円分の領収書を交付してもらえない状況に関する部分等をみても、迫真性に富み、これらが虚偽の内容を語ったものとは到底思われない。

(二) また、甲一、二によっても、本件取引の前日、福岡市の日新信販から中津市の銀行に控訴人宛に九〇〇〇万円が振込まれ、取引当日、右同額が引き出されている事実が明らかであるが、代金が七〇〇〇万円であればわざわざ余分に送金する事情もなく、その余分な送金のために却って元重らがその伝票に苦労する結果となるようなことをする必然性もなく、信田が右代金を九〇〇〇万円と装う意図を当初から持っていたとするならば、控訴人の従業員元重に適切な指示をしないまま平成二年度の決算報告書や伝票に七〇〇〇万円と記載させる矛盾を犯すとも考えられず、結局、九〇〇〇万円全額が本件取引に入用であったからこそ、同額が送金されたものと考えざるを得ない。この点、二〇〇〇万円は別途費消されたとする被控訴人の主張は失当である。

(三) 以上、右掲記の各証拠に照らせば、前記1に掲記の各書証等の存在にも拘わらず、本件売買代金が九〇〇〇万円であったと判断するのが相当である。

むしろ、右代金を七〇〇〇万円とする徴表とみうる右各書証等は、本件の圧縮合意に辻褄を合わせるために、敢えて事実に反して作成された書面とみるのが相当である。何故なら、前記認定のとおり、信田は、岩田らとの間で、平成三年三月三一日の控訴人の決算時期までに、本件土地等を引き取るか転売先を捜し出してもらい処分することを前提条件に、本件買取価額を表面上七〇〇〇万円とする圧縮取引に応じたというのであるから、その際作成された関係書類や控訴人の伝票処理等が、七〇〇〇万円を前提として一貫処理されたことは当然のことであろう。右各書証が本件売買代金額を認定する資料として重要なものであることは疑いないが、その記載金額が七〇〇〇万円であるゆえをもって、直ちに前記認定を覆すべき証拠であるということはできない。

3  被控訴人の主張に副う宮本らの供述等について

(一) 原審及び当審証人宮本の証言

(1) 同証人は、次のとおり証言する。

ア 本件売買代金額は七〇〇〇万円で、津留からは全額現金で受領し、小切手は受け取っていない。小切手(甲一〇号証)は知らない。裏書部分の自分の署名は知らないし、印影も似てはいるが自分のものではない。

イ 手付返還金一三〇〇万円と仲介手数料二一六万円は、いずれも津留から売買代金として受領した現金七〇〇〇万円の中から支出した。

にもかかわらず、売買当日、自己の取引先銀行の口座に七〇〇〇万円が入金されている(乙一七、原審宮本証人調書末尾添附の同人名義の総合口座通帳)のは、税務調査などの際、本件売買代金額に疑いがかけられたときのため、既に受領した現金七〇〇〇万円から支払い済みの一五一六万円分を補っておくこととし、一三〇〇万円は定期預金担保に金策し、残りの二〇〇万円は普通預金から下ろして工面し、併せて七〇〇〇万円として、右のとおり入金したものである。

(2) しかしながら、宮本が、控訴人から受け取った本件売買代金の内七〇〇〇万円分は銀行保証小切手であったことは甲一〇により明らかである(宮本は同号証の裏書部分にある同人作成名義部分の成立を否定する趣旨の証言をするが、同部分の宮本名義の署名、印影は、同人が自ら作成したことを認める乙一号証の同人の署名、印影と同一のものと認められるから、右証言は信用できない。)。しかるに、同人は一貫して七〇〇〇万円を現金で受領したと証言する。また、前記手付返還金等一五一六万円は、右小切手の換金前に支払われている(岩田及び川島の各証言)であるから、右換金された七〇〇〇万円の中から支出されたものでないことも明らかである。

ところで、被控訴人は、宮本の小切手受領を否定する等の右証言は、老齢でもあり本人の記憶違いであり、同人は、取引に際して、別途用意していた金から一五一六万円を支払った旨主張するが、宮本は当審での証言時も未だ矍鑠とし、自身右別途用意したことを一貫して強く否定する証言をしているうえ、別途用意するくらいなら、控訴人に一部現金で支払うように要請すれば足り、わざわざ、右のような多額の現金を様子するまでもなかった筈であり、右主張は採用できない。

(3) 圧縮合意がなかったとして、もっと不自然なのは、宮本が右小切手を直ちに換金するために工作し、奔走していることである。即ち、本件の大分銀行中津支店振出し自己宛小切手(甲一〇)は、本件取引直後宮本から受取った豊和銀行宇佐支店行員赤松により、直ちに、敢えて同行中津駅前支店に持ち込まれ、同支店から同行が開設している大分銀行中津支店の普通預金口座に持ち込んで資金化の手続がとられた。本来小切手の入金は即日できるが、出金は交換等により資金化されて初めて可能で、それには三日程度を要するのが通常である。本件小切手も、その出金日が三日後であったが、その時期に至る前、右小切手が同銀行中津駅前支店に入金されて即刻、同支店から同宇佐支店に現金送金の振替え手続がとられ、宮本の同支店預金口座に現金入金され、出金可能な状況がとられている(甲一一、乙一九、調査嘱託の結果)。

宮本は小切手を換金するのに何故にこのように急ぎ、銀行をして異例とも思える手続を踏ませなければならなかったのであろうか。それほど早期に換金する必要があったのなら、予め、控訴人に対して、代金全部ないしは必要とする額だけでも、現金で支払うよう控訴人に伝えておけば足りることで、控訴人もこれに応じるに支障があったわけでもなかった。宮本がこのような複雑で異例の入出金や換金の手続をとった合理的理由は見い出し難く、結局、税金対策を睨み、圧縮合意をした売却代金額を不明朗にし、手付返還金の出所を装うためにした工作とみるのが合理的である。

(4) このように宮本の各証言は、その重要な点において事実と明白に異なっており、また、真の売買代金額を不明とする工作を正当化する内容のものであり、本件売買代金額に関する限り、到底信用できるものとはいえない。

(二) 原審証人川島の証言

(1) 同証言の内容は、次のとおりである。

ア 売買代金は七〇〇〇万円であり、裏金の話などなかった。信田と契約前に会ったことはなく、売買代金が九〇〇〇万円で、表が七、裏が二というようなことを同人に話したことはない。

イ 宮本宅における売買代金の決済は、はっきりした記憶はないが、恐らく現金でされたと思う。宇土らに支払った手付返還金が一三〇〇万円だったか一五〇〇万円だったか記憶はないが、支払いは当日現金でされた(もっとも、川島は、熊本国税局の税務調査に際しては、宮本が最初から用意していた一五〇〇万円を現金で支払ったと述べている。乙一一)。

(2) しかしながら、右の証言内容は、「売買代金は現金でなかったかと思う。」と、やや言葉を濁しつつ述べ、手付返還金についても、宮本が別途用意していたかの如く述べるなど、宮本証言と同様の疑念を容れうる内容のものである。また、川島は、数千万円といった多額の売買契約を仲介した不動産業者であるにもかかわらず、肝心の点について、意図的と思えるほどその証言を曖昧にし、全般的に宮本に迎合した内容の証言に終始していることや、右業者として、代金の圧縮合意の仲介を肯認出来る立場でないことなどを考慮すると、右証言も容易には信用できるものではない。

(三) 以上の他、国税不服審判所の坂本敏彦に対する聴取書(乙一三)における同人の陳述は(前記のとおり、同人は、信田に代理して本件売買契約の場に立ち会ったものである。)、「本件売買代金額はしらないし、裏がある話も聞いていない。小切手は見たが多額の現金は見ていない。契約書や領収書の作成の記憶はない。本件取引の経過に関与せず、決済にも関わっていない。」という控訴人の主張に反する内容であった。しかし、同人は、その他の質問に対して、記憶がないとか、知らないとかを繰り返しているうえ、前記のとおり、同人は日新信販の関連会社アクルスの管理部長として当時信田の秘書的立場にあって信頼を得ていたが、その後社内で女性社員と不倫問題を起こし、右聴取前退職させられていた人物であること(控訴人代表者本人)などに照らし、直ちには信用できない。

4  なお、被控訴人は、本件の仲介業者であった川島が受領した仲介料が取引額七〇〇〇万円の法定仲介手数料額(正確にはその最高限度額)と一致する二一六万円であったことをもって、右金額で本件取引がされた証左と主張する。

しかし、川島が宮本から、本件取引当日、仲介手数料として少なくとも二一六万円を受領していることは前記認定及び乙五、六に照らし肯認できるが、そもそも、川島は、宮本の意を受けて、控訴人に対して、当初から表の金額を七〇〇〇万円とする取引を持ち掛けていた者であるから、同人の取得したとする仲介手数料は七〇〇〇万円を基礎として算定された額(最高限度額)を表面に出すことがむしろ当然であり、本件の如く裏取引が争われている事案においては、右のとおりに算出された仲介手数料と同額が支払われたとしても、表の話としてもっともなことであり、このことから直ちに真実の取引額が七〇〇〇万円であった証左とするのは相当ではない。更に加えると、川島は、右二一六万円のほか、岩田からも八〇万円を受領していることが認められ(原審証人川島並びに当審証人岩田)、これを加えると、川島は、実質九〇〇〇万円の仲介に相当する手数料を取得していることにもなる。

また、被控訴人は、本件土地等の地価は七〇〇〇万円が相当であり、したがって、本件代金も右金額とみるのが相当であると主張し、これに副う証言(原審、当審証人宮本、原審証人川島)もある。

しかし、宮本は近辺で坪四〇万円の取引事例があったので坪五〇万円で売却したと証言するところ、当時は、未だ、いわゆるバブル全盛期で地価が日々高騰していた時期であり、本件土地が宇佐市内の一等地であったこと(ちなみに、控訴人がコーシューへ転売した時期はバブルが崩壊しつつあったころのことである。)、右取引事例と単純には比較できないこと、宮本の事業者としての人間性をも考慮すると、右主張も容易には採用できない。

三  叙上認定の各事実及び判断なよれば、控訴人の本件土地等の取得金額は九〇〇〇万円であったと認められるから、控訴人の本件取得金額を九〇〇〇万円とする確定申告は正当なものであり、その取得金額を七〇〇〇万円と認定し、差額二〇〇〇万円を、控訴人のコーシューへの転売による譲渡利益と判断し、右申告を更正されるべきものとしてした被控訴人の本件更正及び本件賦課決定は、誤認に基づくものであり、違法として取消しを免れない。

第五結論

よって、本件更正及び本件賦課決定の各処分の取り消しを求める控訴人本訴請求はいずれも理由があり、これと結論を異にする原判決を取り消したうえ、右各課税処分を取り消すこととして、主文のとおり判決する。

(口頭弁論の終結の日・平成一〇年一一月二七日)

(裁判長裁判官 川本隆 裁判官 兒嶋雅昭 裁判官 下野恭裕)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例